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写真と短歌と日常と。
2024/05月

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 昨日は、西日暮里の道灌山にある西日暮里公園と富士見坂をご紹介した。
 江戸時代には、筑波や日光の山々を望むことができ、
 虫聴の名所としられ、涼を求める人々で賑わった。
 安藤広重の錦絵や正岡子規の短歌で、当時を偲ぶこともできる。
 また、富士見を冠した坂は、都内各地にあるが、
 今も本当に富士山がみえる坂は、この道灌山の富士見坂だけである。
 このように、素晴らしい道灌山を紹介しておきながら、
 昨日の記事には、西日暮里公園の写真はないし、富士見坂の写真もない。
 虫聴の画がかかれた「看板」と、ただの「道」と、
 とってつけたような「水仙」の写真があるのみである。
 読者の方は、さぞかしがっかりされたことであろう。
 あるいは大笑いし、もしかしたら激怒された方もあるかもしれない。
 そこで、銀杏♂と♀は、本日、台風が過ぎるや否や、自転車を走らせ、
 道灌山リベンジ取材を行ったのである。

西日暮里公園
 
これが「西日暮里公園」である。
林といってもいいほどの閑静な公園で、
公園の片隅には、ホームレスの住居があるかと思えば、
フルートなど練習している女性もいる。
s.jpg

しかし、上手に作るものですねえ。いつも感心してしまいます。


PICT0351.jpg
 銅像の台に腰掛けてフルートを吹く白衣の女性
 
さて、お次は富士見坂であるが、その前に、
今回はじめて気づいたポイントがある。
この西日暮里公園の隣には日暮里第1小学校があるのだが、
なんとこの小学校は、彫刻家にして詩人でもある高村光大郎の卒業した小学校だったのだ。
小学校の校門の前には、高村光太郎記念碑なるものがあり、
直筆の「正直親切」との言葉が彫られていた。
となりにはふくろうの彫刻があり、これも高村光太郎の作品なのかと思ったが、
どうも違うらしい。
 
d.jpg
 
自分には正直に、人には親切に、という意味らしい。

e.jpg

ふくろうは、石彫家飯田雅光氏の作

そして、いよいよ富士見坂である。
残念ながら、富士山は見えなかったが、
石畳の長い長い坂である。
ここから、ダイヤモンド富士が見えるというのだ。
ぜひ、見てみたいではないか。
 
f.jpg
晴れていれば、正面に小さく富士山がみえる。
銀杏♂と♀は、この富士見坂をくだり、
下の道を日暮里方面へと自転車を走らせた。
すると、「怪しい少年少女博物館」を彷彿とさせる謎の建物が・・・・


 
g.jpg
屋上にラクダが・・・
 

 
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台風が近づいています。被害が甚大にならないことを祈りつつ、記事を書かせて頂いています。

以前の記事にも書いたけれど、仕事が休みのときにはサイクリング(=ストレス解消、足腰強化、光合成のため 笑)や買い物や見物?も兼ねてよく上野に行く。一番よく使うルートは…西日暮里駅近くで急な坂を上り、公園で一息ついてから谷中の街を走り、左手に谷中墓地を眺めながら芸大の横を通って上野に至るというものだ。かなりキツイ坂で、はあはあ言いながら自転車を引いている。上野から西日暮里…この辺りは、台地であり、昔は「ひぐらしの里」と呼ばれていたらしい。

昭和48年につくられた「西日暮里公園」。その昔、道灌山(どうかんやま)と呼ばれた場所である。きっとまわりにさえぎるものなどなかったであろう…眺望も素晴らしかっただろうし、「虫聴(むしきき)」としても名を知られていた場所である。夜になると、人々は、この場所に集って、うちわなんぞ片手に鈴虫や、コオロギなど、虫の声に聴き入っていたのであろうか。なんと風流な!なんと粋で雅な遊びなのだろうと、ちょっと感激してしまう羨ましい気さえする。 先人の姿を妄想し、うっとりとしてしまうイケナイわたしである。
PICT0138.JPG












 









明治時代には、正岡子規も道灌山、ひぐらしの里あたりを巡っていたらしい。紀行文を残しているという。もちろん短歌も。煮えたぎるような夕陽も見ていたのだろうとまたまた妄想をする。

山も無き武蔵野の原をながめけり
    車立てたる道灌山の上
                      正岡子規  


西日暮里公園から、谷中方面に一直線に自転車を走らせる。この写真は昨年の12月28日撮影。年末なのに、暇だねえ、などと言わないでくださいな(笑)
写真右側の標識。上には『日暮里駅』、下には『富士見坂』と記されている。
(一直線に…と言ってる割には、道曲がってるし 標識なんかちっともわからないし意味不明かつ文・写真不一致のお手本とも言える写真…

PICT0144.JPG

















東京には『富士見坂』と名のつく坂が16カ所もあるらしいのだが、実際に富士山が見えるのは、この通りにある富士見坂だけだという。少し前までは、文京区大塚に位置する富士見坂からも眺められたそうだが、現在は高層ビルにさえぎられてわずかに右稜線が見えるだけ、とのことだった。

日暮里の富士見坂。富士山の山頂に太陽が沈むダイヤモンド富士が見られる11月中旬と1月末にはその姿を一目拝もうと、多くの人が訪れるという。地元民のわたしたち、まだ一度も見てないのが悔やまれるところだ。よぉし、今年こそは~

老いた両親を思いつつ、銀杏♂が詠みました。

日ざかりにゆるゆる登る父母をかへりみて待つ富士見坂ながし
                         銀杏♂

上野までの道すがら、大小たくさんのお寺がここかしこに…。名前を記憶していない不信心、かつ健忘症のわたしたち。某…すみません、某お寺の中に入って水仙を撮ってきました。お寺の住職さん、すみません~

PICT0152.JPG




















色の少ない、冬枯れの街、庭にひときわ映える水仙。わたしたちの好きな花のひとつである。

書きながら思った。
今年こそは、ダイヤモンド富士を!いまはただ、その日が晴れることを祈るのみである。

お詫びと抱負:昨年末には、全くブログを意識せず、目的意識のないまま写真を撮っていましたので、みなさまには、ちっとも現在の公園や通りの様子、富士見坂の情景など伝えることができませんでした。申し訳ございません。近日中に、もう一度出向きリベンジして参ります。文章先走りの記事になりましたことをお詫び申し上げます


 

 
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わたしたちの住まい近くを流れる川。その土手を自転車で2時間も走れば東京湾に出ます。
この川には多くの橋がかかっていますが、その中のひとつ、千住大橋は、松尾芭蕉「おくのほそ道」の出発地にあたります。以外と知られていないかもしれません。
奥の細道 矢立初めの地」 の石碑が立っていますし、いまなお「屋形船」ののぼりが風に揺れる、歴史を感じる場所なのです(普段は何も考えず通っていますが 笑)
昔表記ですよ~♪ 右から左に読んでくださいね。「大橋」と読めます。
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tizu.jpg
















40b24ac2.jpg



















実際に屋形船(楼船)に乗ったことはありません。
夜の土手を散歩しておりますと、夏の頃には、灯をともした屋形船が見られます。美しくもあり、粋でもあり…江戸の情緒を感じます。

相寄りて夜の川あゆめば楼船のほがらなる灯はひそやかに来る
                     銀杏♂


さて、もう一つの橋、千住新橋。こちらの袂には、先日なくなられた元キャンディーズの田中好子さんの実家、田中釣具店があるんですよ。
現在は親戚のかたが経営されているそうで、釣り道具はもちろん、その方の趣味でフィギュアなんかでも有名らしいです

矢立てというのは、昔の携帯用筆記用具のことだそうです。
芭蕉も矢立てを持って、この川を下りみちのくに向かったのでしょう…。
矢立初めの句です。元禄2年3月27日のことでした。この頃、東京のさくらは咲いていたのでしょうか、そんなことにも思いを馳せてしまいます。

行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪  松尾芭蕉


 
芭蕉には有名な句がたくさんありますが、みなさんの心に去来するものはどれでしょう。
銀杏♀の心…というより頭にこびりついているのは…(学校教育のなせ
るわざ?
夏草や 兵(つはもの)どもが 夢のあと

閑さや岩にしみ入る蝉の声

といったところでしょうか。
わたしたちには俳句は詠めないのですが、簡潔な五七五のなかに、すべてを凝縮させている文学であり、また一読しただけでその情景や音や空気感までありありと蘇ってくるところ…すごいなあと感動してしまいます。
つくってみようかな~と思ったこともありますが、どうしても川柳になってしまうため(笑)断念しました。

 

 

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新幹線が開通していなかった頃、上野は東京の「北の玄関口」と呼ばれていました。
北に住むひとはそれぞれの思いを持って、東北本線に乗り、何時間もかけて東京を目指したのですね。上野駅で降り、はじめて東京という大都会の土を踏んだのですね

ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく

…と石川啄木が詠んだように、現在でも、なにやら北国のイントネーションが聞こえてきそうな上野駅。独特な雰囲気に満ちています 雑然とした、垢抜けない感じのこの街が大好きです。

現在も、ちょっと裏道に入ると、昭和の匂いプンプンの、ある意味朽ち果てた、旅館やレストランなどが軒を連ねていて、思わず、足を止め、見入ってしまいます 刹那、昭和にタイムスリップしているのかもしれません。
上野駅不忍口を出たところに「上野松竹デパート」という、煤けた色のビルがあります。古本屋、薬屋、画材店、囲碁センター、ビリヤード場、小間物屋(もしかして、死語?)などが、同居している実に摩訶不思議な空間。
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今でこそ、映画は観られませんが、少し前までは映画館も入っていたそうです~
昭和28年に建築されたこのビル…老朽化が進んで解体の噂が絶えないながらも今も頑張って立っていますよ~

碁会所、古書肆、薬屋、アダルトショップ、今もある
上野松竹デパートのカオス
                               銀杏♂

1階の古本屋は、銀杏♂♀のお気に入りスポットで、上野に出かけるときには必ず立ち寄ります。
小難しい本目当てではなく、珍しい物を見つけるために。そして昭和の匂いに浸るために行く、と言っても過言ではありません。
サイクリングと同じで、毒素排出に効果があると、固く信じております
わたしたちが生まれる遙か前の、絵やら書物やら、不思議な読み物などが、雑然と並べられ、積み上げられている。店に満ちあふれる昔の匂い。古い紙の匂い。眼の奥にまで沁み込んでくる昭和の装丁、色。
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実は、この写真は東日本大震災から2日後の3月13日に撮影したものです。上野松竹デパート、無事でした
この日、上野駅周辺の店は、おおかた午後6時には早々と店じまいしていました。
歩いていても携帯の「緊急地震警報」がけたたましく鳴り響いていた、この日の上野。3月11日以前とは全く異なった、ピリピリした空気感を決して忘れることはないでしょう。

それから、半月あまり後の上野公園の桜です。
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震度5強に堪えて、ふんばって、見事な花をつけた桜は、一見、例年の桜と何もと変わりがないのだけれど、決していつもの年の桜と同じではない…そのことを忘れないようにしなければ、と思います。

帰り間際、ツグミちゃんと眼が合っちゃいましたよ~ (ピンボケでごめんなさい
可憐なお顔 可愛すぎ、です!9944d00b.jpg






















不忍池のほとりにかがむ吾を「死ぬるばかり」と言ふ人の在り
銀杏♂

きみの眼にわれ棲みをらぬ冬のはて
狂ひしピアノは葬(はふ)られゆけり
銀杏♀


な、なにやら物々しい歌いったい銀杏♂♀に何が!
蒸し暑い夜になりそうですが、どうか気持ちよく、ぐっすりとお休みになれますように。


 

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プロフィール
HN:
☆銀杏★
性別:
非公開
趣味:
サイクリング、写真、読書、自然観察、短歌、温泉、狩猟採集、筋トレ(冗談!)
自己紹介:
まったりと趣味を楽しんでいる銀杏♂♀です。どうぞよろしくお願いします。
プロフィール画像の銀杏は、昨年、某神社にて採取したものです♪色々な場所のイチョウの樹を見て回りました。殆どが収穫された後で「銀杏なし」状態でしたが、執念でまだ実の残っている樹を探しあて、夜間に懐中電灯片手に収穫してきました。見た目、怪しい人(笑)
お店で販売されているものに比べて小ぶりでしたが、採れたてで新鮮だからでしょうか、とっても甘くて美味しかったです。
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